花は盛りに…
皆さんこんにちは、相談員の米倉です。お久しぶりです。
今年は雪解けが早かったですね。外歩きにはありがたい。
けど、季節の進み方が早い感じで何となく翻弄されているような心持ちがいたします。
桜の花が例年より2週間も早く咲いたとか各地のニュースで取り上げられていますね。
近所でも「おっ、もう咲き始めた」「あらここは満開だね」など話題の中心になることも。
江別市内だと錦町公園や湯川公園、千古園などが名所でしょうか。私は道立図書館の広々とした景色の中の桜が好きで読書を兼ねてお花見に出かけます。
桜の花は「一斉に咲いて一斉に散るのが美学」のように言われますが「それってどうかな?」と感じることもあります。
ちゃんと見るとその桜によって、枝によって咲くタイミングって違いますよね。しかも桜の種類って標本木(報道で開花宣言される)の「ソメイヨシノ」だけじゃなくいろいろあるし。
違う桜、違う条件があるからこそ私たちは早春から晩春まで桜のある景色を楽しめるんだよね~と心の中で手を合わせて感謝。
徒然草の一節に「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」とあります。
勝手に意訳すると「桜は満開がイイ、月は雲がないのがイイって誰が決めたのかね~」って感じかな?私、作者の兼好法師(鎌倉時代の人だよ)に1票です。
学生時代、「女らしくない」とか「高校生のくせに」など人と違うところを指摘され制約されることが多かった私は、この徒然草の一節にずいぶん救われた記憶があります。今でも盛りの桜や満月を見ると「花は盛りに…」と呟くことがあって、〇十年前のことでも悔しい気持ちって残っているもんだな~と苦笑したり。
もしかしたら800年以上昔に生きた人たちも「人と同じ」か「人と違う」かで悩んだこともあったのでしょう。桜も月も何も言わないけれど、見上げる人間の悩みや苦しみを静かに静かに見守ってくれているのかも知れませんね。
今「多様性の時代」となって「人と同じ」も「人と違う」も気にせず選べるようになりました。自分で選んで行動するのもそれはそれで大変なんですけどね。
そんな時代の人間たちを桜はどんな気分で眺めているのでしょうか。

米倉